気まぐれ日記 2022年3月

2022年2月はここ

3月1日(火)「PCトラブル・・・の風さん」
 逃げて去ったのは何か? 2月は逃げて走るという。長かった1月に比べて、2月のなんと短かったことか(ため息)。
 正午前に起床したが、空はどんよりしていた。気持ちも落ち込む。雨が降り出す前に、外回りの仕事を終えたい。
 間に合わなかった。ストレッチ後すぐに出発したが、ぽつぽつ降っている。風はなく、気温もそれほど高くないのが救いだ。JPとUFJとJAを回って帰宅した。予定した目的はすべて達成できた。
 ミルクココアとトーストのブランチ後、月初ルーチンのそうじを始めた。ただし、今日は半分。配管と鏡と空気清浄機の掃除とカレンダーの更新だけだ。
 書斎に入ってルーチンを終え、気になっていた仕事の中から、一つアイデアが浮かんだので、同時並行作業として実施しようとした……ら、とんでもない大はまり!
 外付けHDDのデータを執筆マシンに移そうとした。フォルダー一つだけできていなかったのだ。外付けHDDは旧執筆マシンに接続されていた。それを外して執筆マシンに接続したら、なんとアクセスできないのだ。旧執筆マシンに戻しても、なぜかアクセスできなくなってしまったのだ。すぐ熱くなる性格の私は、それから実に数時間そのトラブルと格闘したが、解決しなかった。
 今月はオンラインでの短時間セミナーがある。そのための資料を用意しなければならない。PCトラブルはとりあえず保留にして、その作業に入った。
 ロシアのウクライナ侵攻に対して、世界から具体的な制裁が始まった。私は遅いと苛立っていたが、各国が動き出したことで、連鎖反応のように世界が一斉に動き出した。こうなると、ロシア国民も衝撃を受ける。世界から非難されて、何が起きているか分からないはずはない。ロシア国民の行動に期待したい。

3月2日(水)「政治家がやるべきこと・・・の風さん」
 ロシアのウクライナ侵攻では、フランスのマクロン大統領の動きが好ましい。積極的に動いている。直にプーチン大統領に働きかけている。たとえプーチンが聞く耳を持たなかったとしても、このマクロン大統領の動きは世界が見ている。何をすべきかを如実に語っているからだ。それはもはやプーチンを動かすしかないのだ。あらゆる手段で。
 日本政府はすぐ「世界と協調して」とか「緊密に連携をはかって」という言い回しをするが、なぜ自ら行動しないのだろう。前々首相はプーチンと少なくとも20回以上公式に対面で会っているはずだ。今こそ、特使となってロシアへ行き、直接プーチンを説得すべきだ。成果など気にすることはない。行動することが大事なのだ。
 今日もブランチ後、月例ルーチンに取り掛かった。レンジフードの掃除である。2月は少しだけ短かったが、汚れはしっかり1か月分ついていた(笑)。分解して掃除という点では風呂掃除と共通している。規模の点で、レンジフードの方がやや楽だな。
 注文した大型の古本が届いた。これまで国会図書館や愛知県図書館で閲覧していた類の本だ。つまり、借りだすことができない本である。送料はかかったが、安価で入手できたのはよかった。
 取材を受けた記事が掲載された新聞が届いた。2月26日(土)の毎日小学生新聞である。トップ記事はロシアのウクライナ侵攻で、子どもを軽視していない真剣さを感じた。私の記事は「作家に聞く」というシリーズで、かなりの紙面をさいていたので驚いた。これがきっかけで本を読んでくれるとうれしい。
 今日は、オンラインセミナー用のスライド原稿の作成作業に注力した。ほぼ完成レベルまで仕上げようと決めた。
 入浴後の体脂肪率は19.5、骨格筋率は39.5だった。変動している。体重変動と測定誤差によるものだろう。就寝は午前6時。

3月3日(木)「やっとレジュメが完成・・・の風さん」
 正午起床。ストレッチ、ミルクココアのブランチ後、月例ルーチンの一環で、初めてリビングの天井を雑巾で拭いてみた。中性洗剤をしみこませただけでも、十分に汚れがとれた。手応えをつかんだので、今年の計画に目途が立った。
 裏の物置に入って探し物をしたが、見つからなかった。半端物の金網があったはずだが……(あとで思い出した。縁の下に設置したゴキ用毒えさの台に使っていた)。その時点で次の特殊雑務を断念した。
 ルーチン後、毎日小学生新聞の掲載記事を、FBやTwitterにアップした。あとで、関係者にもメールした。
 早くもホットタイムの時間になってしまった。数年ぶりにコストコへ行って来たワイフから中の様子を聞いた。新型コロナ以前のことは、すべて遠い昔のような気がする。
 ホットタイム後、オンラインセミナー用のスライド原稿を元にして、配布用のレジュメを作成した。PDFにする段階で1回へまをやり、やっとできたと思ったら、すげえデータ量が重い。止むを得ず、旧執筆マシンを立ち上げて、正規のソフトを使って圧縮した。
 完成したレジュメのデータを事務局へ送付した。
 今日も、マクロン大統領が電話階段したというニュースがあったが、聞く耳持たぬプーチン大統領の態度から、最悪の事態が起きると判断したようだ。国連の総会でロシア非難の決議案が141か国の圧倒的多数で可決されたとはいうものの、反対が5、棄権が35、無投票が12もあった。つまり約3割は賛成しなかったのだ。この事実はしっかり認識しておかなければならない。マクロン大統領の予想が現実になっても、ウクライナを世界レベルで救えるかあやしい。
 就寝は午前3時半。もう少し早い時間帯にシフトしなければ。

3月4日(金)「収穫の多い日・・・の風さん」
 11時起床。ストレッチ、ミルクココアのブランチ後、キャメロンで外出。土日は娑婆の人たちが買い物などで出歩くので、邪魔をしないように、外周りをやっておくという考え方。これはずっと守っている。
 JP分局で一昨日届いた古本代を送金した。ATMで硬貨を使うと余計な出費になるので、直前で通帳に入金しておき、通帳から支払う形をとる。面倒だが仕方ない。年金生活者の智恵だな。
 家電量販店、ホームセンターを経由してGSへ。まだ価格が上昇するかもしれない灯油を購入しておいた。首相が「省エネに協力を」とメッセージを発信していたので、省エネも心がけなければならない。この小さな心がけは、ウクライナ支援にもつながる。
 外回りの収穫の一つとして、屋内に取り付けを検討している物干しハンガー掛けを発見した。ワイフの要望で、かなり難しい工事になりそうだと思っていたが、ポイントとなる金具を発見したのはラッキーだった。アルミ製なので、丈夫でも軽量である。
 今日は、さらに難しいことにも挑戦した。外付けHDDにアクセスできない問題である。執筆マシン(Windows10)、旧執筆マシン(Windows8)で同じ現象なので、外付けHDDの問題は間違いない。右クリックからプロパティを出すこともできない。だから、エラーチェックすらできないのである。
 ネット検索によると、コマンドプロンプトからエラーチェックを実行するのが、次に打つ手らしい。これを外乱のない環境で、じっくりやるため、旧々執筆マシン(WindowsXp)を引っ張り出した。最終的に廃棄する予定だが、実は、出荷状態に完全に初期化してあった。そして、ネット接続もない純粋な環境の中(長男の部屋で)、この方法をやってみることにした。
 コマンドプロンプトの黒い画面に、「chkdsk g: /f」と入力し、Enterキーを押したら、「壊れた属性レコードを、ファイルレコードセグメントから削除します」といったメッセージが、出るわ出るわ、延々と続く。「孤立したファイルをディレクトリファイルに回復します」などというメッセージも続く。
 1時間では全く終わらなかった。しかし、このメッセージの果てに、外付けHDDの復活が見られそうで、ワクワクした。
 そして、ついにエラーチェックが終了。外付けHDDにアクセスができた。
 その後の処理は省略するが、目的の90%以上が達成できたと思う。実用的には問題なくなる。今日の大きな収穫がまた得られた。
 歴史長編小説のリファインで引っ掛かっていた場所も、外付けHDDの問題解決の直後に突破できた。これは、今日最大の収穫だった。

3月5日(土)「天候の急変・・・の風さん」
 また正午近い起床。ボケ老人は1日を通して同じペースで頑張ることができない。途中で長い休憩が必要だ。結果として、就寝が未明に近くなってしまう。やれやれ。効率が悪い。生産性が低い。
 空は晴れていた。週間天気予報通りだと思ったのもつかの間、先ず、アレクサが午後3時から強風注意報が出ると予報した。続いて、スマホを見ると、雨雲の存在も確認できた。近付いてくる可能性が高い。
 ワイフとブランチ後、外へ出た。今日も気になる仕事が待っている。実は、昨日GSで灯油を買った時、キャメロンを自動洗車した。自分でやっている余裕がないという判断からだが、本当の目的は、傷んだ樹脂部品の修理に挑戦したかったからだ。
 カーポートからキャメロンを道路上に出し、先ず、タイヤの専用ワックスをスプレーした。これが効果があることは十分分かっている。
 以前、同じスプレーを車室内の部品に使って味をしめていた。コンソールのシガー灰皿部品が、灰色に変色していたので、このスプレーを2度使って磨き上げ、ほぼ元通りの黒さを取り戻していた。この効果を、運転席側のドアのウィンドウ周りの樹脂部品に試そうと思っていた。
 養生テープと折り込み広告を使って、樹脂部品以外を目隠ししてから、さあ、スプレーと思ったころから、アレクサの予報通り強風が吹き出した。それでも作業を強行した。ワクワクしながらスプレー部分を手拭いで拭きあげたら、何も変化がなく、元通りのだんだら模様にになってしまった。そこで、2回目のスプレーをした。今度は、すぐ拭きあげることはせず、数時間放置することにした。沁み込むのを待つのである。ところが、スマホで雨雲レーダーを確認すると、薄いけれども、1時間以内に雨雲が来ることが判明した。止むを得ず、カーポートでなく、車庫の方へキャメロンを避難させて、今日の作業は中断することにした。
 その後、断続的な小雨になり、唸り音がするほどの強風はいつ止むとも知れなかった。
 ルーチンと特殊雑務をこなしながら、また夜が更けていき、就寝は午前5時近かった。

3月6日(日)「大先輩の思い出・・・の風さん」
 またまた正午近い起床。外は昨夜からの強風がまだ吹いている。屋外作業はできないな。
 それでも、キャメロンのウィンドウ周りの樹脂部品がどうなっているか確認に行った。ワックスは完全には乾いていなかった。手拭いで沁み込むことを期待しながら拭きあげていった。いくらかマシにはなったものの、変色した部分はまだらに浮き上がってくる。ここまでが限界かもしれない。キャメロンはあとで車庫からカーポートに移動させておこう。
 ルーチンから特殊雑務に取り掛かったが、早くも体力の限界を感じ始めた。しかし今日は、昼寝をしている余裕はない。軽い仕事を選んで処理していく。そうしていても、いつも何かトラブルが起きる。スキャナーから執筆マシンへのデータ送信ができなくなった。なんで?
 ホットタイム後、スキャナーの設定を一からやり直した。その後、事業復活支援金申請の勉強の続きをした……が、これは確定申告レベルの能力と手間が必要だぞ。こんなんで困っている弱小事業者を救えるのだろうか。そう思いながらも、昨年家計から借金した分を穴埋めしたくて、必死に勉強を続けた。こうなると、体力の限界も忘れている(笑)。
 新鷹会の大先輩、西村京太郎さんが亡くなられた。新鷹会に入ってまだ月日があまり経っていないころ、東京駅の新幹線ホームで偶然お見かけしたので、私が新鷹会に入ったばかりで34歳だと言ったら「僕も34歳で新鷹会に入ったんだよ」と。当時、京太郎さんは某月刊誌の新人賞の選考委員をされていた。応募しますのでよろしくと言ったら「最終選考に残ってたらね」と笑顔で応じてくださった。これは果たせなかった。
 小説を書くことが仕事であり趣味であり生きがいでありすべてだった西村京太郎先輩。トラベルミステリー以外に書きたいことがたくさんあったと聞く。偉大な先輩の思い出をパワーに私も頑張らねば。
 今夜も深夜になってから、ようやく作家らしく小説を読んで書くモードに入った。就寝は午前5時。

3月7日(月)「これも紙碑だろう・・・の風さん」
 就寝が遅くて今日も正午近くに起床。ストレッチは通常通り。ミルクココアのブランチ後、キャメロンで外出。
 JP分局でメルカリで売れた本を発送した。今回は上下巻の専門書で、定価は8000円だった。とうとう勉強する機会を逸したため、未使用状態での出品となった(3か月以上引き合いはなかった)。先方から値引きの依頼があり、その金額で販売した。高価だったものでも、需要がなければ無価値となる。妥当な価格は消費者が教えてくれる。すなおに従うのが自然だろう。
 ホームセンターへ移動し、DIYに必要な金具類を購入して帰宅した。
 毎日Daily計画外のことが起きる。今日は、本が送られてきた。泉田英雄さんの『明治政府測量師長 コリン・アレクサンダー・マクヴェイン −工部省建築営繕、測量、気象観測への貢献』(文芸社)である。以前、出版の相談があって、自分の経験談をメールで伝えただけだった。やっと出版にこぎつけたとのことで、見事な仕上がりになっていた。貴重な人物伝である。恐らく他にない。文化遺産と言っていい。こういうこと(個人レベルでも価値を見出してほぼボランティアでおこなうこと)が長く日本はおこなわれてきたのだろうと思う。長谷川伸先生の精神にかなっている。つまり、これも紙碑だろう。
 作家らしく読書に注力している。上記の贈呈本に着手できるのはいつになるか分からない。未読本が多過ぎるからだ。それらの中で、今日は小説を1冊読了した。秋月達朗さんの『信長の首』である。筆力を感じた。私にとって貴重な参考文献になりそうな短編も収録されていた。

3月8日(火)「売上台帳の充実・・・の風さん」
 今日も正午近くに起床。ストレッチ、ミルクココアのブランチ後、キャメロンで外出。
 JP分局で知人へゆうメールで近著を発送した。ドラッグストアへ行き、まとめ買い。今日の狙いの商品はゴキ用毒えさ。屋外用とホウ酸団子で、半年ごとに半分ずつ入れ替えているやつだ。月末におこなう。コンビニを経由してホームセンターへ行き、木工用ドリルを購入した。明日、ハンガー掛け工事をおこなうので、そのためだ。山越えの田舎道で帰宅した。
 ルーチンとホットタイム後、気になっている仕事に取り掛かった(こういうことが多過ぎる)。事業復活支援金申請のために、売上台帳を充実させることにした。確定申告のデータと通帳のデータが整合していることが望まれるからだ。あらためてチェックしてみると、不整合が見つかる。とりあえずフォーマットをしっかりしたものにし、申請のときには矛盾がないようにしようと思った。
 ところが、この作業、午前零時前に終えるつもりが、満足できるレベルに到達しない。ある程度のところまでやっておかないと、次にやるとき混乱する。自分で作成していても忘れていることが多いのが心配だ。そういうわけで、とうとう午前3時までやってしまった。
 作家業が停滞し、執筆が気になってしようがない。また明日だ。

3月9日(水)「ハンガー掛け工事・・・の風さん」
 11時起床。入念なストレッチ後、いつもと違ってトーストの朝食を摂った。今日はちょっとした特殊作業をする。
 部品類はすべて購入してあるし、工具類もバッチリ揃っている。キッチンに物干しハンガー専用の引っ掛け部品を設置するのだ。この部品は、通常は屋外(たとえばベランダ)の壁に2個設置して、物干しざおを通すための物だ。私が気に入ったのは、折りたたむことができること、そしてアルミ製で軽いことである。これを収納戸棚の側面に設置する。洗濯機のすぐ上だ。1cmの側板をM8のボルト・ナットではさんで固定するが、しっかり締め上げると板材がへこむので、受け用の金具(巨大なワッシャーと思えばいい)も用意してある。
 受け用金具の取り付け位置を測定して、側板の表側に鉛筆で穴をあける位置を書き込んだ。あ、そうそう、掃除道具の準備はもとより、下が切りくずで散らからないように、養生はしてある。電動ドリルで小径から順に貫通穴を明け、最後は8ミリの木工用ドリルで仕上げた。
 壁に装着してある引っ掛け用の格子状の部品も、最後に洗剤できれいに洗って再設置した。
 時間はかかったが、まずまずの完成度で、満足した。夕方、実家へ行っていたワイフが帰宅し、希望していた物ができていたので驚いていた。
 気になっていた工事が一つ完了したので、ルーチンの後、歴史長編の執筆に復帰した。問題点が次々に見つかる。やはり、これにもっと時間をさかないと……。就寝は午前4時少し前。

3月10日(木)「だんだん執筆優先モードへ・・・の風さん」
 10時起床。少し早いぞ。天気は晴れで、気温もそこそこ高い。風もないので、屋外作業日和ではある。
 ストレッチからトーストのブランチ後、屋外へ出た。門の上のランタンが壊れてかなりの日数が経過している。ネットで格安のランタンを購入したのはよかったが、問題があってすぐ使えなかった。暖色のくせに明るすぎるのと、点滅が早すぎるのだ。ネットの評価の中に「火事かと思われて使えない」というのがあった。これかと納得した。そこで、先ず、明るさを抑制するために、内部に詰め物をどんどん入れた。恐らく明るさは半減できたと思った。
 次に考えたのは、金属の網をかぶせることで、さらに黒く塗装してデザイン的に落とさないことだった。所定の寸法に金属の網をカットする過程で、指にケガをした。血がどくどく出てくる。深く刺さったらしい。治療し、バンドエイドを巻いたあと、安全手袋を装着した。こんな工事ぐらいで、と思うが、ボケ老人はこんな感じで、安全性も問題があり、生産性は落ちるばかりだ。
 今日はスプレー塗装の2度塗りまでやった。
 ルーチンとホットタイム後、早々と執筆態勢に入った。元気なうちに見直しをすると、問題点がよく見えるし、改善の判断もけっこう早くて適切だ。
 午前零時前、知らない間に、ヤフオクで落札できていた。参考資料が安価で出品されていて、競争にならずに終わった。ラッキー。
 今夜も午前4時前に就寝できた。

3月11日(金)「あれから11年・・・の風さん」
 東日本大震災から11年目の今日、当地を含めて全国的に暖かだ。あの日は寒かった。母の心筋梗塞に始まって、重度の認知症認定そして震災、毎月福島へ母の介護のために通った年だった。多くの人にとって人生が変わった年だったが、私ごとき者でも、大きな影響を受けた。
 ワイフは3回目のワクチン接種のため、地元の病院へ行っている。新型コロナの場合は、もう2年以上も生活に大きな影響を受けている。しかし、世界を見れば、ミャンマー、香港、アフガニスタン、ウクライナと、自然災害ではない人災に襲われて人生が変わってしまった人々が数知れない。平和な日本はありがたい。
 昨夜メルカリ出品が売れたので、ファミマへ行って発送してきた。純利益を上回るスイーツを購入して帰宅した(笑)。平和すぎる。
 数日前に何とか復活させた外付けHDDだが、まだ戻っていないファイルが4GBあるような気がして、チェッキングディスクをやってみた(復活前はアクセスできなく、これすらできなかった)が、2回ともフェーズ4に入ったところで進まなくなった。どうも限界らしい。
 昨日2回塗装した金網に、3回目の塗装をした。夜になってランタンに挿入してみたが、まだ明るすぎたので、さらに詰め物を増やして、どうにか我慢できる明るさになった。門柱の上に設置した。午前零時ごろにチェックすると、消えかけていた。充電電池の容量が小さすぎるようだ。改善しよう。
 夕方から執筆モードに入り、最後は久しぶりの hairdye を並行しておこない、午前4時半ころ就寝した。あれから11年か……早いな。 

3月12日(土)「聖崎の河津桜・・・の風さん」
 私にとってはやや寝不足だが、正午前に頑張って起床した。今日も天気は好い。屋外作業日和だ。余裕があれば、また高圧洗浄機を引っ張り出したいところだが、気になる度で決めている優先順位からは2番目だ。支援金申請の準備の続きをやりたい。
 ところが、ワイフとブランチ後、予想外の提案があった。南知多町の私のお気に入りスポット聖崎(ひじりさき)の河津桜(かわづざくら)がまだ咲いているかもしれないというのだ。見に行きたいという謎だ。
 昨日、3回目のワクチン接種をしたワイフは、依然として副反応が弱い。腕はかすかに痛いだけで、発熱も37度に届かない。鎮痛剤も解熱剤も服用する必要がない程度だった。だから、副反応は障害ではない。
 あと気になるのは、今日が土曜日だということ。週末や祭日は、天気が好ければ観光客でにぎわう土地柄である。地元に居住する者が、遠くから来てくれる観光客にまじって遊ぶのは気が引ける。特にボケ老人の私は、平日の中から選定すればよいのだ。
 が、結局、ワイフの提案なので、とりあえず行ってみることにした。早咲きの河津桜の満開時期は2月の後半らしい。
 まだまん防が解除されていない愛知県だが、観光客がたくさん来ていた。私が秘境と呼ぶ(笑)聖崎もいっぱいで、駐車スペースを探すのが大変だった。こんなに人が多い聖崎を初めて見た。もう秘境とは呼べない。公園内にある河津桜は、満開は過ぎていたが、まだ十分に見ごろと言ってよかった。展望台から、まだこれから咲く桜樹を眺めながら、執筆中の小説の一節が浮かんだ。このひらめきはとても貴重なもので、月末までに終える改稿の中で検討しようと思った。これだけでも来てよかった。
 展望台から大小の船が行き交う紺碧の海を眺めていると、平和のありがたさをつくづく思う。
 帰宅し、ホットタイム後、執筆の続きをやり、晩御飯の後は、気になっている特殊雑務を次々にこなし、最後は風呂掃除をして、午前4時前に就寝した。

3月13日(日)「なかなかスッキリしない・・・の風さん」
 今日は、予定されていて中止になった講演会の日だ。新型コロナ(オミクロン株による第六波)がなければ、前泊、後泊で行き、現地から秋田へ移動する計画も検討していた。
 予定がなくなった分、自宅での仕事がはかどれば穴埋め(英語ではmake up for)になるのだが、はたしてそうなっているか怪しい。
 今朝の就寝が遅かったので、ミルクココアのブランチ後、オンライン講演を聴講する準備に取り掛かった。関孝和数学研究所主催で、小川束先生による講演だ。『綴術算経』出版から300年ということで、建部賢弘がテーマとして取り上げられた。かなり調べた私でも、新たな発見があり、感動的な講演だった。やはり建部賢弘の人生には共感することが多い。
 その後、ルーチンをこなし、ホットタイム後、執筆に復帰した。また修正すべき部分にたどり着いた。実は、和算に関係するところで、新たな知見を反映させようと思っている。なので、ちょっと手ごわい。
 ロシアがウクライナ侵攻をやめない。首都を制圧後、全土を掌握するつもりではないか。犠牲者が増え続けている。もうきれいごとではない。力には力しかないのではないか。第三次世界大戦になる。
 深夜になり(雨も降り出し)、執筆がはかどらなくなったので、特殊雑務に移った。数日前から治療してある奥歯が痛くなった。明日歯医者に電話して診察の予約をしよう。やれやれ(実は、また口内炎まで発症した)。

3月14日(月)「超ラッキー・・・の風さん」
 ストレッチをしていてきついと感じた。老化現象が進んでいるのか。不安だ。アレクサに「今日は何の日?」と聞いたら、「ホワイトデーです」と返ってきたので、何となく絶句。あわてて「今日は円周率の日だい!」と言い返しても虚しさを覚える。
 キャメロンで外出。今冬最後の灯油の購入だ。また少し値上がりしていた。帰宅して、屋外タンクに補給した。これがなくなって、まだ寒かったらエアコンにしよう。しかし先ずその前に省エネだ。ウクライナのことを思えば、省エネも小さな支援になる。
 昼食に、実に久しぶりに鍋焼きうどんを食べた。鍋焼きうどんそのものも、近年食べる機会が減っているような気がする。がしかし今日は、特別なことがあった。珍しいアルミの入れ物に入ったやつをワイフが用意してくれたからだ。これまた、近年、使用する機会が激減しているポータブルIH調理機を使うチャンスだと思い、出動させてもらった。卵を入れようと思い、冷蔵庫から取り出した生卵を握りつぶしてしまった(パックから取り出そうとつまんだだけでつぶれた)。就寝前にハンドグリッパーで鍛えているが、超人的な握力になっているはずはない。ボケが手にもきたか。ま、とにかく、IH調理機を活用し、楽しく食事できた。
 天気は好く、ワイフは出かけているので、キャメロンも少し移動させて、車庫の高圧洗浄をすることにした。ログキャビン側の面が残っていたので、これが最後となる。かなり頑張ったが、完璧に白くはできない。これ以上パワーをかけると塗装がはげそうだ。もしもっときれいにしたくなったら、白ペンキを塗ればいい。続けて、キャメロンの洗車もした。水洗いでもけっこうきれいになるが、そのうちワックスをかけてみたい。もう10年以上やったことはない。最後になるかもしれない愛車なので、近いうちに挑戦しよう。
 勝手口の外のごみ収納ボックスが昨夜の強い雨と風で倒れて濡れていたので、日光で干し、組み立てて元に戻した。ロープで転倒防止はしてあったが、十分でなかったので、内部というか底の方に重しを追加した。
 屋内に戻り、かかりつけの歯科医院へ電話した。来月が半年ごとの健診だったが、痛みがあると言って、週末に予約した。
 17日にオンラインで講演(講義)をするので、自分で書いた本を読み返していたが、今日で読了した。苦労して書いた記憶がよみがえった。残念ながら書いた内容がいつでもどこでもすぐ口から出せるわけではない。しかし、本にまとめておいて良かった。本は私よりも優秀で能弁な代弁者である。明日は、当日使用する予定のMacBookAirの調子を確認しよう。
 執筆マシンの外付けHDDに移行できていないデータがあることを数日前に書いた。フォルダーの容量としては34GBだった。長男の部屋で、旧々執筆マシンを使って、エラーチェック後復元を試みた結果は30GBになり、あと4GB復元できていないと思っていた。それでも30GBは大きいので、とりあえずこの30GBを執筆マシンの外付けHDDへ移そうと思った。実は、該当するフォルダーがあって、34GBなかったので、すべて移行できていないと判断していた。全ファイルをコピペすると時間がかかると思い、重複していないファイルだけを貼り付けることにした。
 作業が終了して、フォルダーのデータ量を調べたら、なんと34GBあった! どうやら長男の部屋で復元できなかったファイルのほとんどは、ここへ移行できていたファイルだったらしい。超ラッキー。この幸運をさらに確保するためには、外付けHDDから重要なファイルを執筆マシンのHD(これはSSDである)へ移さねばならない。そして、次は、この執筆マシンも中古で不安定なので、新々執筆マシンに更新するか、あるいは、SSDの外付けHDDを追加購入するかである。いずれにしても、こんなラッキーなこともあるのだ。
 明日、早起きが必要なので、早々に入浴して就寝モードに入ったが、体脂肪率は19.5、骨格筋率は39.9となかなかいい値を示した。

3月15日(火)「意外な発見・・・の風さん」
 目覚ましで早起きし、ワイフを駅まで送り、またベッドに逆戻りした。その後、変な夢を見た。名古屋駅のあたりらしいのだが、どこかへ行こうとして、さまざまな方向から向かってちっともたどり着けない。かつて新宿駅でこんな経験があった。仕事がはかどらないので、こういった夢を見るのだろう。何とも情けないことだ。
 時計を見たら11時半近かったので、あわてて体を起こし、ストレッチを開始した。
 先ず、ファミマへ行き、昨夜売れたメルカリ品を発送した。以前にも購入してくれたお客さんで、値引き依頼があり、即座に応じたら購入してくれた。
 トーストとミルクココアのブランチ後、ルーチンに取り掛かった。体調はスッキリしない。疲労の疑いは真っ先に除外している。
 17日の講演のために、MacBookAirへスライド資料などを移し、ちゃんと立ち上がるか確認した。PCとしてはデスクトップより安定しているので安心だが、画面が少し違うので、そこは不安である。明日は講演のリハーサルをやっておく。
 今回の講演は、ある企業の社員が対象である。その企業の名称から初めてお付き合いする会社かと思っていた。ところが、今日あらためて、その会社のWebsiteを見てみたら、90年代に会社の名称を変更していて、それ以前の社名から、私が深くお付き合いした会社だということが判明した。深くと書いたのは、かなり意味が深く、思い出をここに正確に書くわけにはいかない。現役時代、自信過剰だった私は、独断でかなり大胆なことをやっていて、その会社に対しても、私のこだわりから、どうしてもその会社の開発設備が欲しくて、価格(約1。5億で計3台)は私の指値、社内の稟議が通らないうちに、先行で製作に取り掛かってもらったのだ。結果はすべてうまくいったので、名前をふせてこれだけは書けた。ま、とにかく、そういった会社に対して講演できるのは感慨深いものがある。
 東欧3国(ポーランド、チェコ、スロベニア)の首相がキエフを訪ね、ゼレンスキー大統領らと会談するという。既に列車でウクライナへ入った。現役時代、多くの部署をまとめてプロジェクトを進める仕事をしていた私は、こういった動きに強烈に共鳴する。責任ある者は、自ら動かなければならない。それができるために、実は多くの要因や要素があり、具体的に分からなくても、困難を乗り越えて踏み込んだ彼らの勇気に敬意を表したい。
 長編小説で引っ掛かっていた問題が深夜解決した。これで、明日、この続きも再開できる。
 今夜の体脂肪率は18.6、骨格筋率は40.1と昨夜よりさらに良い値を示した。50g単位で測定できる体重に変化はなかった。

3月16日(水)「自然災害と人災と・・・の風さん」
 起床時のルーチンである、入念なストレッチをしながら、いつも思う。筋トレをしなければ、と。地元のトレーニングルームは開いているが、オミクロン株がはびこっている現在は、やはり行きたくない。ワクチン接種を3回していても、さらに今は子どもでも感染しているのだ。
 今朝もトーストとミルクココアのブランチを摂りながら、つい考えてしまう。ウクライナの戦場である。軍人も民間人も、ギリギリの食事を摂っているだろう。平時に暮らす人間は想像もできないが、彼らの職実は、次は死んで摂れないかもしれないものだ。プーチンの暴挙なのは、間違いないのに、堂々と止めることができない。近所に犯罪者がいて、その犯罪を止めることができていないようなものだ。つまり、法律も警察も隣人たちも、無力に近いということだ。
 ルーチンをこなし、家計簿のデータ記入をし、小説の修正に着手し、夜は、明日のオンライン講演の準備に取り掛かったところで、23時36分ごろ地震が発生した。宮城県から福島県の沿岸部が震度6強だという。小さな津波も発生した。長い目で見れば、東日本大震災の余震かもしれない。しかし、間隔ははっきりしないが、起きるべくして起きている大きな地震である。
 戦争は人災だろう。しかし、自然災害も人災も、それを防いだり、最小限のものにしたりすることができないでいる。歴史は繰り返す。人生という限りある時間(地球に比べて短い時間)の中でも、それらが起きる。これからも似たような状況があとどれだけ続くのだろうか。生きている間に終わりは来ない。

3月17日(木)「オンライン講演・・・の風さん」
 6時間半ほどの睡眠で起床。今日は仕事があるので、いつもと緊張感が違う。現役時代の逆だ(笑)。
 入念なストレッチとブランチ後、書斎へ。オンライン講演の準備はほぼできているが、今回の最大の関心事は、MacBookAirの使用と通信環境だ。準備したことが正解であってほしい。
 少しまともな普段着に着替え、ファイト〜一発ドリンクを飲み、コーヒーを淹れて書斎へ向かった。
 直前に講演スライドの調整を少しした。事務局とすぐにZOOMでつながり、確認事項を確かめた。MacBookAirでも大丈夫そうだった。
 先方の会社の集合がやや遅れたこともあり、講演開始が若干遅れた。執筆マシンと違って、MacBookAirを使うと画面に顔を近づけて話す。講演スライドを見てもらうだけなら、関係ないが、MacBookAirの内蔵カメラの映像を見れば、私の顔が大写しだろう(笑)。
 いつものペースで講演を続けていったら、どうも進行が遅いらしく、時計をちらりと見ると、遅れ始めている。雑談を入れ過ぎだ。このへんのペースが、仕事の間隔が空いているとつかめない。
 予定より20分くらいオーバーして終了した。質疑応答の時間が十分とれなかったので、あとからメールで質問がどっさり来そうだ。まあ、仕方ないか。
 さすがに疲れた。それでも、ルーチンをこなした後、ワイフと墓参に行った。だんだん日が長くなってきたのでできた。帰宅してホットタイム。
 そのうち元気が戻るだろうと思いながら、たらたらと過ごしたが、復活しなかった。それでも、iPadminiのOSの更新をしたり、旧執筆マシンの調子を見たり(相変わらず不安定)、多少は雑務ができた。やはり体力が課題だ。

3月18日(金)「痛いのは仕方ない?・・・の風さん」
 天気予報通り、昨夜から雨になっている。
 ブランチ前にキャメロンで外出した。ファミマへ行って売れたメルカリ品を発送し、JAとUFJのATMに寄って帰宅した。途中で投函もしたが、さすがに雨の中、少々うっとうしかった。
 ブランチ後、急いでルーチンをこなし、またキャメロンで外出した。予約した歯医者へ行くのである。片道1時間以上かかるので、早めに出発したら本当に早く到着してしまった。ところが、幸運にもすぐ対応してくれた。キャンセルでもあったのだろうか。レントゲンを撮ったが、5か月前とほとんど変わりないとのことで、今回も処置は見送りになった。噛むとやや痛いのだが、「炎症があるので、少々痛いのは仕方ありません」と我慢強い私を見抜いたようなことを医者に言われた(笑)。
 やまない雨の中を帰宅してすぐホットタイム。
 昨日で大きな用事を一つ終えたので、今日から執筆再開だ。一番得意な和算に関係したところにさしかかった。調べ物も増えてくる。新発見があり、面白がってやっているので、どんどん時間が経過する。
 そうこうしているうちに、またメルカリ品が売れた。また明日ファミマから発送しなければならない。明日の天気はどうなるだろう。おっと、ぼやぼやしていると夜が明ける。寝なければ。
 今夜の体脂肪率は18.6、骨格筋率は40.4。良すぎる。

3月19日(土)「リアルな戦場・・・の風さん」
 雨が上がった。三寒四温ではないが、徐々に春が近付いているのだろう。明瞭に寒暖を繰り返す。
 昼夜逆転している私は、老化もあいまって、起床してストレッチをしながら、疲労感もおぼえている。
 トーストとミルクココアのブランチ後、昨日に続いてキャメロンでファミマへ向かった。昨夜またメルカリ品が売れたのだ。古い英語の本だ。中学で英語を学び始めた私は、英語が新鮮に感じて面白かった。その後、参考書もよく買ったし、ラジオで基礎英語、続基礎英語と聞き、テレビ英会話に進んだ。
 1960年代後半、まだ海外旅行も珍しかったころだ。
 今回2冊の英語の本(内容はエッセイに近い)を出品したが、どちらも昨年読み返し、そういった当時の世相を懐かしく思い出した。英語の本というより、懐かしい昭和の時代を思い出させる本として出品した。メッセージのやりとりで、購入者もそれを期待してくれたことがわかった。
 帰宅したら、どっと疲労感に襲われた。外は晴れているのに、カーテンを引いて、ベッドで仮眠した。
 最近、わずかな睡眠でも夢を見る。恐ろしいことに、戦場にいる夢だ。リアルな戦場だ。殺し合いもあるが、死ぬまではまともに生きている(生活感のある)世界だ。最前線で戦っていても、兵士は、食事をし、睡眠をとり、着替えをしたり、仲間と雑談もする。兵站は途切れずに続く。ウクライナでは、兵士だけでない。一般人も戦場で生活している。いつ被弾するか分からない中で。
 ホットタイム後、ようやく執筆の元気が出た。ルーチンに取り掛かったのは、未明である。
 爆撃される心配もない中で、就寝モードに入った。

3月20日(日)「土筆の卵とじ・・・の風さん」
 何とか正午前に起床。今日も天気は好い。ストレッチはややきつく感じる。
 ブランチの時、ワイフからウォーキングの提案があり、即「行きます!」と返事。
 体調を整えるのには歩くのが一番だと思う。たとえ疲労気味でも、ウォーキングはするべきだと思う。しかし、自分一人で歩きに行くのは気が引ける。不審者と思われないか心配だから(笑)。
 ワイフが行き気になったのは、アレクサとの朝の会話で土筆(つくし)が出たからだそうだ。2月はなかったくらい早く過ぎた。もう3月も下旬である。そろそろソメイヨシノが咲こうかという季節だ。土筆が伸びてきているか確認するのが目的だった。
 そうなると歩くコースは田園地帯となる。小高い丘陵に囲まれた、田んぼが広がる一帯が今日のウォーキングコースである。行ってみたら、土筆がたくさん伸びていた。往路で土筆を摘むポイントを決めておいて、復路で摘むことにした。途中、側溝でひっくり返っているウシガエルを発見した。カエルも冬眠から覚める季節なのだ。でも、なぜ死んでいたのだろう。
 小さなレジ袋いっぱい摘んで帰宅し、ウッドデッキのテーブルではかまを取った。
 晩御飯の時に土筆の卵とじが出ることは分かっていたが、ウォーキングの効果はもっとあった。ワイフが張り切って、冷凍してあった土佐の鰹のたたきがメインディッシュで出た。当地のワカメが添えてある。気分がハイになっているワイフが「日本酒を出せ」と命じてきた。そうなると、これもとっておきの秋田の銘酒ということで、由利政宗の「雪の茅舎」で応じるしかない。まるで料亭のメニューだ。
 晩御飯後リビングでダウンしたのはいつも通り。
 午前零時過ぎに復活して書斎へ行き、執筆の続きに取り掛かった。ここ1週間乗り越えられなかった山をクリアしたのは大成果だが、昨日と同様にルーチンは未明になり、就寝したのは午前5時過ぎだった。

3月21日(月)「この時期、発熱?・・・の風さん」
 昼夜逆転は関係ないと思うが、起床してから何となく不調を感じた。ストレッチがきつい。
 午前中にひと仕事終えているワイフと、昼過ぎにやっと生活を合流させて、ブランチとなった。しかし、体調の話はしない。
 スマホが電話を着信した。会社の元同僚夫妻が近くまで来ているという。新型コロナを気にして、玄関先でちょっと話したい、渡す物があるとのことだった。
 外へ出ると、今日も好い天気だ。どうせならウッドデッキでお茶でも飲みながらと思った。ほどなく到着して、路上で4人で会話しただけになってしまった。にっくき新型コロナめ。かねて約束のタイミングライトを持ってきてくれたのだが、彼は陶芸作家である、新作の小皿2枚をもらったのだが、思わず息をのむような美しい色合いで、久々に陶芸作品に感動した。
 路上での会話にもあったので、その後、今日もウォーキングに行くことになった。ワイフの目的は、昨日路傍で見つけたすみれを根こそぎ掘ってくることだった。私はまた土筆を摘んだ。小一時間のウォーキングだったにもかかわらず、疲労感をおぼえた。
 帰宅し、ホットタイムになり、元同僚からもらった小皿に大あんまきをのせていただいた。それにしても見事な皿だ。デパートで売ったら、きっと破格の値がつくだろう。芸術作品とはそういうものだ。
 今夜の晩御飯が、昨日に続いて料亭風になった(笑)。もらった小皿に日本酒のつまみとして最適な豚肉料理が3品並んだ。焼き豚と角煮とタンである。皿が良いので、料理が数段美味くなる。また酔っ払ってしまった。
 ニュースを見ながら、ますます体の異変を感じ出した。念のため熱をはかってみたら、37.0度あった。この罰当たりめ! しかし、冗談を言っている場合ではない。この時点でワイフも私もほとんど新型コロナだと確信していた。
 そのとき、スマホにメールの着信があった。会社の別の元同僚の奥さんからで、元同僚が病気が倒れ、命が危ないとのことだった。その元同僚と親しい別の元同僚に電話してみたら、状況を知っていた。深刻な病状であることがよくわかった。すぐお見舞いに行ける状況でもなかった。祈るしかないということだ。
 倒れた元同僚との思い出を反芻しながら、私は私の残りの人生を懸命に生きるしかない。とりあえず発熱を何とかしたくて、アスピリンが主成分の薬を服用した。リビングでしばらく安静にした。
 午前零時を過ぎて、不思議なことに熱が下がったような感覚があった。とりあえず書斎へ行き、できるだけの仕事をすることにした。今夜は私はワイフから隔離されるが当然のことだ。
 本当に熱は下がったらしく、入浴前にはかってみたら36.5度だった。ついでに、パルスオキシメーターで血中酸素飽和度をはかってみたら、97%で正常だった。喉も痛くないので、新型コロナではないのかもしれない。

3月22日(火)「悪魔は去ったか?・・・の風さん」
 昨日の日記を読み返してみたら、いくつもミスがあった。やはり発熱後遺症か? いちおう修正して再アップする。
 昼前に階下へ降りてすぐ体温をはかってみた。35.9度だった。完全に発熱は消えたらしい。今年は年が明けてまもなく知人・友人のがんを知ったのが3人で、良くない幕開けだったが、昨日の状況からすると、自分や家族を含めて、これからも続きそうだ。ひたすらまじめにおとなしく、粛々と生きていくしかない。
 昨夜からの冷たい雨が小降りになってきたころ、キャメロンで外出した。ドラッグストアでまとめ買いをした。いくつか買う物を忘れた(笑)。次に、ホームセンターへ行き、目的の品物を買い、次に狙っている品物の調査をした。
 8週間に1度行っているかかりつけのクリニックへ行った。院内で2回検温したが、どちらも36.2度だった。これは平熱だ。健診結果を持って来るのをまた忘れたらしい。催促された。待ち時間がたっぷりあって、ツムツムばかりやっていた。調子は良くなかった。
 帰宅してホットタイム。平熱に戻ったので、昨夜の発熱がやはり不思議だった。悪魔がとりつきそうになり、幸運にも去ったのかもしれない。定年退社して10年間、70歳までは自宅を含めた身辺整理に注力と決めてまだ8年、まだ終っていない。終活という言葉は嫌いだが、死ぬ準備はその先だと思っている。しかし、突然人生の終焉がやって来たら、やはり残された者が困る。その準備も少しずつ始めなければならないのか。
 来月予定されている1年ぶりのセミナーが、予定通り開催されるとメールが来ていた。来月も忙しいな。
 長編小説のリファインがなかなか進まない。しかし、今夜も小さな山は越えた。
 最後にルーチンをし、明日のオンライン打ち合わせの準備をしてから、入浴するため階下へ降りた。もう検温する必要もない。
 就寝は午前4時半。

3月23日(水)「Teamsの事前テスト・・・の風さん」
 一昨日の発熱は何だったのだろう。あっという間に平常に戻った。きっとご先祖様のお蔭で、悪魔を退散させてくれたに違いない。ダウンしないうちに、執筆を続けなければ……。
 ブランチ後、さっとルーチンをこなしてから、オンライン打ち合わせにのぞんだ。来月のセミナーで、ZOOMでなくTeamsを使うので、事前チェックが目的である。Teamsを使うのは2回目になる。昨年初めての時は、執筆マシンで打ち合わせを無事に終えたが、セミナーとなると時間が長くなるので、通信状態が不安定になる心配がある。だから、MacBookAirでやろうと思っている。
 事務局とすぐにつながり、こちらの考えを伝え、早速テストを開始した。基本は、PPTのスライドを画面共有しながらやるのだが、受講者ともコミュニケーションをしたいので、切り替えがうまく行くかがポイントだった。
 30分間の打ち合わせで、そういった動作確認ができなかった。途中で執筆マシンに切り替えてうまく行ったのは、インストールしたソフトがWindowsとiOS(Macintosh)のどちらと使い勝手が良いかの違いだった。
 仕方なく、打ち合わせ後、執筆マシンで開催案内を作ってホストになり、MacBookAir側でゲストになって画面共有の問題解決をはかった。ネット検索もして、どうにか解決策を見つけることができた。結果を事務局へ報告した。やはり、本番ではMacBookAirでやりたいと伝えた。
 今日も未明近くまで執筆を続けた。修正すべき部分が多く、頭が痛かった(発熱するほどではなかったが)。
 入浴後の体脂肪率は18.9、骨格筋率は39.9だった。まずまずの数値。

3月24日(木)「執筆最優先だが・・・の風さん」
 今日も何とか昼前に起床。入念なストレッチをした後、チーズの入った菓子パンとミルクココアのブランチ。
 書斎へ直行し、とにかく執筆最優先だ。もう時間がない。
 そんな一日を過ごしていても、最も気になるのはウクライナ情勢だ。テレビや新聞の報道は遅れ気味だが、ネットは早い。欧米の首脳陣の会合が集中するのとタイミングを合わせるかのように、変化が起きている。侵攻から一か月が経過し、プーチンに焦りが出てもおかしくない、形勢逆転になりかかっている。これは欧米によるウクライナへの軍事的な支援が、ロシアへの経済制裁以上に効果を上げている可能性がある。バイデン大統領が、プーチンによる生物・化学兵器使用の可能性を盛んに言い出した。そういった大きな動きの下で、多くの一般庶民の犠牲が増え続けている。これを何とかしないと、最後にウクライナが勝利したとしても、払った犠牲が大き過ぎることになる。
 午前零時まで執筆を頑張り、そこからルーチンを処理し、最後は、中断していた事業復活支援金申請の準備の続きとして、登録とIDの取得をした。続けて、気になる事前確認業者の選定に入り、近所にいないか検索したら、隣接する地域もまるでヒットしなかった(笑)。これは想定外だった。飛び越えた行政地区に3つほどヒットしたので、その1つに打診メールを送ったところで、今日の作業を終えた。
 入浴後の体脂肪率は18.6、骨格筋率は40.2だった。良すぎる数値。無理していて、脂肪を燃焼させているのだろうか。

3月25日(金)「名古屋まで外出・・・の風さん」
 11時起床。ワイフとブランチ後、キャメロンで外出した。
 JP分局へ行き、送金処理を2件(同窓会の年会費と国際機関への寄付)した。例によって通帳からの送金にして、出費をおさえた。
 続いて、某駅近くのスーパーへ行き、レギュラーコーヒーを購入した。ここは私の知っている店の中で最も安い。そこの駐車場にキャメロンを置いたまま、某駅から名鉄で名古屋へ向かった。1月に行った眼科の指示で、今日は検査が予約してあった。
 名古屋は相変わらずの人出だった。まん防が解除されたからではなく、皆生きるために活動しているのだ。まん防の影響は、夜の人出で確認されるだろうが、夜の名古屋へはもう2年以上行っていないから、まるで実感がない。ウクライナのひどい状況よりも分からない。
 眼科では検査を受けた後、診察もあって、医師から投薬の追加を告げられた。やはり時間の経過とともに、少しずつ悪くなっているのだ。医師の説明に納得して受け入れた。
 逆のコースで帰宅した。晩御飯前にホットタイムをすることができた。
 夜は、ルーチンをこなすのが精いっぱいだった。粘っていれば、元気が復活するかと思って、だらだらと起きていたが、結局だめだった。
 昨日、事前確認業者を選択して打診した相手からは「有料です」との連絡があったので、丁重に断り、2件目を選択して、また打診のメールを送った。
 明日こそ、執筆を加速させなければいけない。どうせ雨の予報だから、どこへも行かないし、とにかく頑張ろう。

3月26日(土)「読むだけもダメ?・・・の風さん」
 天気予報通りに雨になった。昼前にやっとの思いで起き出し、門のところの鳴海風の表札とソーラーランタンを取り込んだ。
 いつも通りにストレッチから一日を始動しているが、筋トレにならないのは仕方ないにしても、体の柔軟性を維持できていない。もっと負荷を上げるべきなのだろうが、心身ともに余裕がない。こんなはずではなかった。
 腰痛が悪化しそうな怪しい状況なので、今日はコルセットを装着して対策というか、予防をした。
 今日もルーチンは後回しで、すぐ執筆に着手した。じっくり修正するのはやめて、とにかく残りの原稿をすべて読んでしまおう、気になる部分は修正せずに場所だけノートに記録しておこう、そう思ってスタートした。
 ところが、これは性格だろうか、ついつい原稿をいじってしまう。気になってしようがない。
 途中でAmazonに発注した商品が届いたが、とりあえず開梱だけして、長男の部屋へ置いておいた。明日、物置にしまう。高圧洗浄機専用のカーシャンプ―である。遅れていて気になってしようがないが、4月になったらすぐワイフのアクアのタイヤ交換と洗車をしなければならない。オンラインセミナーの準備もすぐやらないと間に合わない。やれやれ。
 とうとう深夜になってしまった。眠い。執筆……じゃなかった読むだけ、これだけでもほとんど進まない。ルーチンに切り替えて、気分は絶望の淵をさまよっている。重要メールを1本だけ送信しておいた。

3月27日(日)「悪戦苦闘は続く・・・の風さん」
 今日も何とか正午前に起床。入念なストレッチをやっても気休めのような気がする。腰痛対策でコルセットの装着に加えて痛み止めも服用した。
 ワイフとブランチ後、先月初めてやった風呂釜の洗浄をおこなった。2回目なので、要領良くできた。ついでに風呂掃除も簡単にしておいた。
 だいぶ暖かくなってきたので、石油温風ヒーターを使わない日もあるが、買っておいた灯油を屋外タンクへ補充した。屋内にはまだ1缶ある。
 家庭の雑用を終えて、本名の仕事。先週の講演に対する質問と感想が届いたので、フィードバックの準備にとりかかった。結局、晩御飯前までかかって、質問に対する回答だけでなく、参考資料(終日セミナーで使用しているスライド)も用意して、事務局へ送付した。非常に時間がかかったが、こういうのは昔からこんな感じで、ついつい力が入ってしまう。回答はA4で3枚もある。
 晩御飯後、先にルーチンを終えてから、やっと執筆に復帰した。コルセットと痛み止めのお蔭で、ここまでたどり着けたのかもしれないが、ま、とにかくやらねば……。前進はしているが、修正せずに先に進めない。やはり原稿の出来が悪いぞ。
 入浴後の体脂肪率は18.8、骨格筋率は40.1だった。就寝は午前5時近かった。

3月28日(月)「とりあえず雑務処理・・・の風さん」
 今日もまた正午前に何とか起床。入念なストレッチで早くも疲労を感じた。
 ブランチの時読んだ新聞記事の中に、認知症の超早期発見の治験プロジェクトJ−TRCの解説があり、参加することにした。なぜなら、アルツハイマーの場合、軽症で発見された時点で、脳神経細胞は半分以上死んでいるそうだから。 
 早速Websiteにアクセスし、新規登録後、最初の検査を受けた。トランプを使った記憶テストである。反応の速さも求められているので、瞬時に回答を心掛けた。いやあ、間違うこと、間違うこと、恥ずかしい(笑)。このプロジェクトに登録できるのは、まだ認知症になっていないと思われる人でなければならない。しかし、このザマでは、もうあなたは認知症なので失格です、と引導を渡されそうだ。結果はすぐ出なかったので、明日にでもチェックしてみよう。やれやれ。朝から(起きてから)また疲れるぜ。
 一関市博物館から和算に挑戦の報告書が届いた。私は上級の部の正解者77人の中に入っていた。それはそれで安心。一方、優秀解答の例がいくつか掲載されていたが、何と、私が挑戦しようとした方法で解答していた。すごい。誰でもそのやり方に着眼するらしい。でも、そこから解けるかどうかで優秀か並かが分かれる(笑)。私は並(これも2通りあって、現代解析学法と和算家法があり、私は後者)。
 仕事がたまっていて憂鬱だったので、他にもたくさん雑務をこなして、気持ちを楽にさせようとした。
 執筆の調子が出てきたのは、未明近くで(笑)、就寝は午前6時近かった。カーテンの向こうが明るい。

3月29日(火)「やるっきゃない執筆・・・の風さん」
 毎日同じようなパターンで一日をスタートさせている。せめて今日はちょっとでもパターンを変えて、効率を上げよう。
 ワイフは実家へ出かけていていない。私は先ずキャメロンで外回りの仕事をしに行った。
 ファミマへ直行し、昨夜売れたメルカリ品(ビジネス書と英会話の教本CD付き)を発送した。2冊で純利益は200円くらいになる(笑)。ドラッグストアへ移動し、先日買い忘れたものを購入した。続いて、地元の図書館へ行った。2022年版の『理科年表』で調べたいことがあった。メモして終了。
 帰宅してブランチ。もう午後2時を回っている。イマイチ元気が出ないが、執筆に戻った。
 夕方、ワイフが帰宅したので、ホットタイムにし、郵便物を3つ作った。まだ元気は出ない。しかし、執筆。やるしかない。
 晩御飯後、ニュースを見て、リビングでダウン。横にならないと元気は出そうもない。
 午前零時前に、これではいけないと起き出して書斎へ。
 区切りのいいところまで原稿を修正した。最後に、重要なメールを2通送ってから階下へ。
 入浴後の体脂肪率は18.9、骨格筋率は40.0だった。終日スマートウォッチで血圧も連続測定していたが、iPhoneをチェックしないまま就寝。カーテンの向こうが明るかった。やべえ。

3月30日(水)「最後のヤマ場をクリヤ・・・の風さん」
 正午起床。入念なストレッチ後、歩いて投函に行って来た。穏やかな天気。途中で三毛猫を見た。3通投函して帰宅した。それからブランチ。
 気になる雑務をもう少しだけ先にしておくことにした。恐らく、今夜も遅くまで執筆することになる。
 事業復活支援金申請のための事前確認業者選びが、すんなり決まらないのは予想外だった。まさかほとんどの業者が有料だと思っていなかったからだ。経産省の支援事業なので、新型コロナの影響を受けている弱者に優しいと思い込んでいたのが間違いだった。個人事業主の場合、もしもらえるとして最高額は50万円である。2年前の持続化給付金の時は、最高額は100万円だった。受給額は計算式で推定できる。満額はなかなか難しい。個人事業主なら、数万円でももらっておきたいと思うはずだ。ところが、事前確認業者に問い合わせると、オンラインでも1万円前後だという。問い合わせた4つ目の親切な業者は、経産省に手続きしてもらえる額はもっと少ないので有料にしたと教えてくれた。当然だよな。
 修正した原稿は明日中に送付する約束だ。翌日からは、次のセミナーの準備と新たな原稿執筆が始まる。次のセミナーの準備のため、自分で書いた本の原稿を少しずつ読んでいる。8年前に書いた原稿で、34年間の会社経験と50代になって取り組んだビジネス研究の総集編みたいな内容だ。我ながら読んでいて感心する。だから、退社後に大学で教えたり、セミナー講師をしたり、企業指導に行ったりできたのだ。
 小説原稿の修正は、最後のヤマ場に差し掛かった。1月のオンライン打ち合わせで指摘された中でも、かなりハイレベルな修正である。そこをクリヤしておかないと明日が苦しくなると思い、元気なことを幸いに、結局、夜は明け、午前6時近くまで頑張った。クリヤしたのだ。

3月31日(木)「知人の訃報・・・の風さん」
 正午起床。いよいよ長編の原稿修正の最終日だ。今朝最後のヤマ場をクリヤしたので、前途は明るい。
 ブランチ後、ファミマへ行った。昨日売れたメルカリ出品を発送した。このところ執筆ピンチで新たな出品はしていなかったが、こういう時にも、売れるモノは売れる。今日のもビジネス本で、65歳のときに今後の縮小を決めた分野なので、昨年から出品している。かなり売れているが、まだ本はたくさん持っている。
 帰宅して、ルーチンそして特殊雑務から始めた。疲労感もあるし、睡眠不足もあるかもしれない。特殊雑務の中で特筆すべきことは、例の申請の事前確認業者を決めたことだ。私の希望日程でやってもらえることが大きい。スケジュールが詰まっているので、負荷を平準化したかった。
 名古屋の老舗の和菓子屋から新商品が宅配で届いた。明日から発売だという。ワイフの大好物である。その和菓子屋の商品は、上京時に編集者への手土産にすることもある。かつてリーフレットに寄稿させていただいた縁があって、今回のプレゼントとなった。高級品なので、自分用に買うことはないから、とてもうれしかった。感謝感謝。
 ホットタイム後、執筆に復活した。
 晩御飯後、リビングでFBをチェックしたら、父の息子ですという書き出しの記事が出てきた。何のことか、その先を読んで分かった。父とはそのFBのアカウントつまり私の知人で、彼は亡くなったのだ。知人は昨年末に亡くなり、四十九日も過ぎて、息子さんがアカウントに気付き、念のため友だちへ告知したという経緯である。知人は現役時代に、仕事でのかかわりはそれほど深くなかったが、私の作家業を応援してくれた人で、2歳下だった。人間的に相手を癒すような人柄の人だった。感謝の気持ちで冥福を祈ることにした。そして、FBにコメントを書き込んだ。
 執筆の続きは延々と続いた。意外と元気で、徹夜態勢に入った。
 午前7時ころ、ゴールに到達した。メールに添付して、編集者へ送信した。9月出版予定の大作である。恐らくその時点で、私の最高の作品になる。
 階下へ降り、入浴を終えたころ、ワイフも起き出してきた。
 就寝は午前8時。


2022年4月はここ

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